俳優で猟師としての顔も持つ東出昌大(35)。全国でクマによる人身被害が深刻化するいま、関東の山で狩猟生活を送る自身の思いをつづった寄稿を公開する。

東出昌大 ©文藝春秋

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山の中でクマを想う日々

「クマも人を襲いたい訳ではない」。クマと酌み交わし本音を聞き出したわけではないが、山の中でクマを想う日々を送っているうちにそう確信するようになった。

 元々日本の山には広葉樹が多く生えていた。広葉樹にはブナやシイなど、クマの主食となる堅果類があった。冬季には落葉し日中は太陽の光が地面に差し込むため、寒々しい冬山でも落葉広葉樹林帯を歩いている時は日向ぼっこをしているような暖かさを感じる。

 しかし、そんな森は少ない。戦後、日本人は復興に躍起になった。木材は不足し、高騰を続け、国は政策として「拡大造林計画」を推し進めた。結果、成長の遅い広葉樹を切り倒し、真っ直ぐに、早く伸びるスギやヒノキなどの針葉樹を植林した。クマは針葉樹を食べられない。倒木にたまに巣食うアリをほじくり返して舐める事はあるが、あまり腹の足しにはならない。

「いつかは伐採し、金に変わる」と希望的観測を持った人間の手でビッシリと植林された針葉樹林帯は、冬でも葉を茂られ、地表に降り注ぐはずだった陽の光を遮るため下草は生えず、新たな広葉樹の芽の発育を阻害する。私の住む地域の猟師は、昼でも真っ暗なその林を指差し「クロ」と呼ぶ。

 私の家の裏山には、石垣が段々に積まれており、戦前までそこは畑だった。今は太いヒノキが山頂まで数百メートル続く。なぜこんなに植林したのか、土地の権利者に話を聞いた事がある。「あの頃はもう山で仕事をするんでなく、都会に出て金を稼ぐのがこれからの時代だと思われてた。畑なんて持っててもしょうがねぇし、木を植えたんだなぁ」と遠い目をされる70代のオッチャン。しかし、植林を決断したのは、遥か以前に鬼籍に入られたオッチャンの親父さんだという。

 日本は高度経済成長期を迎え、一億総中流と言われるまでの栄華を誇った。経済活動のために都市部に若者が流入し、田舎は代々の土地を守るように高齢者が残り過疎化が進んだ。経済成長をひとしきり済ませ、バブル景気に浮かれた日本人は、建材になる木々を海外から仕入れるようになった。「そっちの方が便利だし安いから」と。山には放置された針葉樹林が、暴風になぎ倒されたまま冷たく横たわる光景が溢れている。

 以前は人が手入れをしていた畑は「もう野良仕事はしんどくなったし、人もいなくなっちまった」と、耕作放棄地として忘れられたように里山に点在するようになった。耕作放棄地は拓けており新芽が茂るため、野生動物がファーストフード感覚で下りてきて食べ散らかす。残ったおじいちゃんおばあちゃんが高さ2メートルになる獣害防止柵を自力で設ける事も不可能に思える。

 今、文春オンラインを読んでいる多くの読者が所謂「若者」だと思う。50代でも60代でも、田舎のご高齢の方々は「まだ若ぇ」と仰る。

 私たち若者は、安心安全が保障されたかのような都市部で人生の長くを過ごしてきた。ITのおかげで便利になり、明日配送されるであろうAmazonの商品を布団の上でゴロゴロしながら品定めしたりする。ふと、仕事のメールが届く。もう夜も遅いというのに。そうだ、SNSチェックしよう。3分前に開いたインスタを見返しても、特に面白い事もない。何か面白い事ないかな~。ん? クマ? 人が襲われた? なんてこった!

有害駆除の対象になった若グマ

 クマ関連のネットニュースを開き、やはりクマは危ない生き物だと、認識を強くする。安心安全で便利な世界に生きる私たちにとって、危ない生き物の話は、死の実感を知らず知らずのうちに渇望している日々の中で快感に近い興奮を与えてくれるのかも知れない。

「里に下りてきたクマは麻酔銃で撃って山に返すべき」「なんで警官はピストルでクマを撃たないのか」「安全が確保されているなら市街地でもライフルの発砲許可を出すべきだ」。みんな言ってる事はほとんど正しい。しかし私には、濃霧の先で囁く不確かな声のような、実感の得づらいもののように感じる。

 この春、檻の中で「ゴォッガオォッ!」と威嚇するクマの頭に、散弾銃の弾を撃ち込んだ。次の瞬間、口から血を滴らせながら「ギュエォ……」と断末魔のように絞り出した声が、耳から離れない。果樹園に害をなしたと見做され、有害駆除の対象になった若いオスグマだった。

「クマ問題」は答えの出ない問い

 クマ問題。これは答えの出ない問いなのではないかと思う。その昔は人間も安心安全などない自然界の生き物の一種であり、他の動物や昆虫と同じように自然の恵みを享受し生きてきた。今、渋谷の真ん中で「自然を感じられない」と言うのは簡単だが、実は渋谷という都市も大衆から自然発生的に湧き起こった「安心安全、効率化」を理想として築き上げられたものなら自然物だと思う。クマが人を叩くのはクマにとっての自然だし、人間が都市を築くのも自然。しかし、本来の生き物の世界は、生と死が表裏一体のように当たり前の事として存在しているのである。

 この数年、東京の夏はエアコンをつけずには生きていられないほどの酷暑となっている。今年は私の住んでいる山も夏が長く、キノコが全然出てこないし堅果類の落果も不作になるだろう。クマの出没件数、人的被害が例年より増えている東北地方では、ブナの実が「大凶作」や「凶作」と発表された。果たして人間が気候変動に与えた影響がないと言えるのだろうか?

 我々人間が生きている限りは、今ある木を切り倒し植林もするし、奥山を切り拓きダムも作る。人間の造った針葉樹林の下を歩くクマは、食うものがない。そんな時、眼下に広がる人里を見渡しながら思うだろう。「こわいけど、おりないと」と。

 今後、更に過疎化が進み、経済が低迷しても都市部での経済活動を続けなければならない日本人は、田舎で起きたクマのニュースに背筋を凍らせる事が増えるかも知れない。その田舎では人間の数が減り、耕作放棄地が点在するようになっている事から、獣が生息できる環境は増えるのではないかと推測される。

 11月1日環境省の発表では、2023年度(4月~10月末)、クマに襲われ命を落とした人は5人だった。心から、ご冥福をお祈りいたします

 今後、クマによる人身事故が1件でも増えて欲しくないと切に思う。それと同時に、「クマは危険」の報道が過熱し、無闇にクマを迫害する風潮が生まれない事を願う。

 昨年、スズメバチは全国で20人の方の命を奪った。便利で、でも忙しい安心安全が謳われる社会で、昨年は2万1881人の方が、自身の命を断つ決断をした。

(東出 昌大/週刊文春Webオリジナル

(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>


熊の気持ちはどうでもいいの。人間を襲ったという事実だけで駆除対象。


クマと意思疎通できないんだから意味の無い悩みだな


別に迫害するんじゃなくて、人里に来るなら危険だから駆除ってだけですね。スズメバチの巣も人里なら駆除しますね。何か問題でも?


人の肉の味を覚えたヒグマとかはどうなん?


クマの殺処分数を減らしたいなら目の前の一頭を助けるんじゃなくて積極的にクマ狩りしてヒトの縄張りをしっかりと認識させないと


クマにも事情はある。人にも事情がある。それだけの事


「クマも人を襲いたい訳ではない」おう、そのセリフ熊に殺された人の遺族の前で言ってこいよ


最後の方のポエムは気持ち悪いし相容れない


さすがは所属事務所をクビになっただけあるわ、変わってないのね


人を襲うモンスターより人の命が大事です


平和ボケなのか好感度稼ぎたいのか知らんけど、こういう綺麗事を言うやつ最近増えすぎじゃない?


なんか熊だけ変な扱いじゃない?スズメバチとか蛇とかに保護呼びかける声とかその動物用に自然環境整える意見聞いたことないんだけど、なんで熊だけのために環境改善しろとかなるんだ?


人間も熊を殺したいわけじゃないんだわ


自然を舐めるな


こんな考えでよく猟師なんてやってんな


所詮は頭お花畑の薄っぺらい戯言っすね……熊も含めて野生の動物は本能で動いていて、餌を探している最中に人と出会ったら『警戒→威嚇→排除』という順に行動を取るんだよ。


問題は「熊が襲いたいかどうか」ではなく「人が襲われているという事実」だ。


人も殺したいわけではないのだから公平だな


売名したいにしてももう少し考えたら?