僕は返還前の沖縄で生まれ育った。住んでいた具志川(現・うるま市)は看板から言葉まですべて英語。
米国に多くの日本人が住んでいるようだった。
街を取り締まるのも日本の警官よりもMPが大半で、いつも拳銃をちらつかせていて怖かった。
(出典 c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp)
父は「Aサイン(米兵の出入りを許可)バー」を経営していた。馴染みになる米兵も多く、可愛がってもらった。
店内ではジュークボックスから常にソウルやロックが流れていて、耳に入ってくるのも英語。英語も音楽も自然に体にしみ込んでいた。
テレビはNHKと民放1局。ラジオはすべて英語だ。内地の歌謡界で何がはやっているかなど知るよしもなかった。
こんな環境で育った兄3人が音楽に刺激を受けバンドを始めたことが「フィンガー5」の原点だ。
長男は“演奏させて”と自ら基地に売り込みして、米兵相手に「オールブラザーズ」の名前で活動していた。
腕試しに地元のテレビ番組のコンテストに挑戦すると優勝。局の人に勧められて東京行きを決めた。
僕と妹の妙子は東京行きのタイミングで加入した。まだ小学校1年ぐらいだったから、自分の意思ではなく兄の命令だった。
沖縄は父親に次いで長男が絶対的な権力を持つ。兄貴に言われたら弟は従うしかない。
沖縄の家とバーは親戚たちに任せ「アメリカ合衆国・琉球政府」のパスポートを持っての上京。当初は基地での演奏が目的で、横田基地に近い東村山の一軒家を借りた。
横田でも兄が直談判し、“面白そうな子供バンドがいる”と基地内のバーでの演奏が許された。
僕たちは次第に話題になり立ち見も出るほどの人気に。米兵からはドル札の投げ銭が飛んできて、それはそのまま生活費になった。
困ったのは学校だ。「靴、履いてる」「日本語話せるのか」とバカにされた。
授業中も困った。毎晩のように基地で演奏していたから、授業中は眠くて仕方なかった。沖縄の先生は寝かせてくれたけど、東京では起こされた。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/304908
>>1
今でもサングラスかけてんのかwww
アキラのボーカルは神懸かっていた
>>2
リアルタイム世代居るのかよ
>>7
リアルタイム世代だがアキラはキンキン声しかイメージ無いな。
まあ、あの年齢としては上手いと思うが。
沖縄が返還された時小2くらいだったかな
全校集会で校長が泣いてたのを覚えてる
明日は卒業式だから
おお貴重ではある
今の朝ドラには出てくれそうなの?
あの懐かしい曲、キョンキョンがカバーしたな
MPってなに?
マッドポリスと普通の警官とがいるの?
>>14
ミリタリーポリスの略。
軍事基地の警備をする警察なんだけど沖縄の治安維持も任務としていた。
沖縄にはおまわりさんはいなかったからね。
え?あの真ん中の子?還暦過ぎたの!?
晃(61)…
妙子は軽井沢のペンションに嫁いだって聞いたけど今でも幸せなんか
兄妹仲よさそうだけどいろいろ病気したりで大変じゃなじゃったっけ
お元気なんだなぁ懐かしい
アキラとタエコの声は記憶に残ってる
恋のダイヤル6700
(出典 Youtube)
個人授業
(出典 Youtube)
安室が出てきた時、俺の中では妙子ver2.0だった
何がショックってアキラが61なのが一番ショックだよなw
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