「立派な戦闘機。日本一の戦闘機。ただ、悲しみがこびりついておる」。太平洋戦争中、日本海軍の航空兵だった笠井智一さん(94)=兵庫県伊丹市=の声が上ずった。
15日、同県加西市の鶉野(うずらの)飛行場跡地で、戦闘機「紫電改」の実物大模型と念願の対面を果たした。終戦から75年。操縦かんを握った当時の記憶が薄れゆく中、戦死した仲間への思いがあふれた。(小川 晶)
「ああ、これです、これです。そのもんです」。模型が展示された倉庫に足を踏み入れた笠井さんが、全長約9メートル、幅約12メートルの深緑色の機体に目を見張った。昨年6月の展示開始以降、ずっと見学を希望し、体調の具合などからこの日までずれ込んでいた。知人で、模型の展示に尽力した戦史研究家の上谷昭夫さん(81)に付き添われ、翼や胴体、プロペラに触れて回りながら、力強くうなずく。「自分が乗って、命を懸けた紫電改。忘れるわけがない」
笠井さんが振り返る。「ええ機体でしたよ。(既存の戦闘機だった)零戦と違ってスピードも速いし、操縦しやすかった」
だが、戦局は変わらなかった。紫電改は、圧倒的な物量を背景に空襲を続ける米軍との戦闘で被害が相次ぎ、部隊発足時の飛行隊長3人が全員戦死するなど、多くの操縦員が命を落とした。燃料の質も悪く、B29に追い付けないまま基地に戻ることもあったという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ada1d701aa265f73d0661b43a5a7007e8da5638
(出典 i.imgur.com)
笠井 智一(かさい ともかず、1926年(大正15年)3月8日 - )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍上等飛行兵曹。大東亜戦争におけるエース・パイロット。
グアム、南方諸島、フィリピン、沖縄、本土防空と最も過酷な負け戦の時期を戦ったため、勝ち戦を経験してみたかったと話している[19]。
笠井は最若年搭乗員に属しながら単独共同撃墜数は約10機である[20]。個人撃墜数を10機とする文献もある[21]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E4%BA%95%E6%99%BA%E4%B8%80
>>1
ドリフターズに出てくるパイロットって
この人がモデルなん?
(´・_・`)
>>37
菅野直は実在の人物
>>1
たった10機でエースなのか
>>49
たったって10機落としたやつがどれだけいると思ってんだ
アメリカのトップエースでも20そこそこだぞ
>>49
エースって5機ぐらいじゃなかった?
>>66
明確な規定は当時からなかったけど
一般的には5機だな
50落とせばエースオブエースってのも創作物の影響でかいし
>>66
5機撃墜でエース
WW2は規模がでかすぎて、10機撃墜とかざらにいるので霞んじゃうけど、グルグル回りながら5機撃墜して生きてるってのはスゴイと思うよ…
>>79
グルグル回りながら撃墜なんてのはあまりないらしい
バルクホルンというドイツ空軍の大エースが回想してるんだが
ある時、ソ連空軍のベテランらしいのと格闘戦に入り、双方、秘術を尽くして戦ったが
決着がつかなかったそうだ
>>66
エースと言われる基準は5機だよね
撃墜の判定基準がアメリカは緩くて日本は厳密だった
と聞いた事がある。
>>49
命を懸けた殺し合いを10回も生き延びたのにまだ足りないと?
よく考えてから物言えよ
>>49
爆撃王のルーデル閣下も航空機9機落としてるからエースだぞ
また薬用紫電改の話してる…
杉浦直樹
元軍パイロットの方はお元気だよね
愛媛の本物見せろよ
俺もフサフサになったよ
ハゲは関係ないだろ
存命だったのか
愛媛愛南に行ったのかと思った
日本はB29を500機近く撃墜してるんだよな
高高度飛んでいて全く戦いに
ならなかったと思っていた
>>12
そんな落としてんだ。
すごいな。
>>12
B29自体がエンジンに問題抱えてる機体だったからな
>>12
昼間の高高度飛んでるときはほぼ追いつけなかった(そんな高度まで迎撃できる戦闘機が無かった)その上P-51の護衛なんか付いてたら勝負にならなかったとのこと。
夜間は低高度でやってくることもあったから、その時に落としたのかもね
>>12
B-29の生産数3970機
※コスト、1機は駆逐艦並み
うち、喪失機数414機(全体の12%)
日本無差別爆撃の親玉、ヘンリー・アーノルドが頭抱えるのもわかるわ
>>13
菅野直の部下だった人だよ
>>12
高高度の時はほぼ落とせなかった
北九州の夜戦は屠龍が戦果をあげてるが昼間でP-51が随伴するようになったのと本土決戦のために戦力温存して迎撃機による戦果は更に激減
低空爆撃に切り替えてからの戦果はほぼ高射砲によるものだよ
>>12
飛燕が優秀だったのが大きいな
>>83
飛燕って、重爆撃機よりも上昇率遅いんやで……
>>88
日本の機体はどれも上昇速度遅いだろ
>>12
まじで?空爆で無双してたイメージもってた
剣部隊って菅野直とかがいたとこだろ?
まだ生きてた人がいたのか
名前がもう強いわ市電貝
まだお元気なんだ
エースパイロットすげえ
紫電てプッシャ型のやつ?
>>18
1の写真に思いっきりペラ映ってんじゃんw
レシプロプッシャなんて震電しかねーよ
思い出美化だからしゃーない
パイロットは肺が強いから長生きなんかな。
零戦と隼って美しいよな。
かっこよさではスピットファイア。
虫みたいでちょいキモいけど。
エースオブエースって日本にはあまり居ないんだっけ
クソザコナメクジ過ぎて
>>26
アメリカはカメラ積んで戦果を記録してたしな
福岡の久留米で列車を襲撃したパイロット視点の映像見た事ある
というかうちの爺さんギリ戦争行ってなくて90すぎてるよ
この人も終戦時20代前半?
>>27
記事に生年月日記載してあるだろ
レシプロ機も良いな
震電と間違えた
実際のところ紫電改≧四式戦>>零戦>一式戦>二式戦、三式戦ってとこだな
隼はWikipediaではめちゃめちゃ良く書かれてるけど
二流のビルマ戦線である事、かつビルマ戦線は43年以降は制空権喪失してた事を書いてない
インパール作戦だってそんな隼が無敵の活躍してりゃ作戦成功してたろうよ
英軍は空中補給が命だったから制空権日本にあれば勝ってた
>>31
おっと牟田口の悪口はそこまでだ
>>31
雷電抜けてるぞ
姿勢がいいしかっこいい
エースパイロットの菅野隊長も杉田もミッドウェー以降の人でそんなに若かったのかと改めてびっくり
>>35
海軍は44年の半ばだったと思うが、あまりにも兵科の若手士官が足りないから中少尉を二階級繰り上げ進級させてる
菅野直とかは多分その為に、22歳で大尉とかわけのわかんない事になってる
大体開戦当時は28〜30歳で大尉だったから、異常すぎる若返り
知らんけど、カワサキか…
>>38
川崎は飛燕
エースって死なない立ち回りが上手いんだろな
>>39
そうだね
操縦テクニックも相手の行動予測も長けてるんだと思う
原爆投下も余裕で阻止できる筈だったんだよな
菅野とか武藤の金ちゃんと同隊だったのかなぁ
子供の頃は友達の爺さんとかからリアルな戦争話聞いたな
日本が後半戦闘機でも劣勢に立たされたのって結局石油の不足だよな
ろくにエンジン開発もパイロットの育成も出来なかった
技術力自体は良い線をいってた
>>48
プラグの品質と、ハーネスが銅線に油紙巻いてた時点で発動機はダメだと思うぞ。
アメリカはちゃんとゴム被膜のプラグコード使ってたんだし。
エースなのに輸送機にのっているときに撃墜されて死んだパイロットとか悔しくてたまらないだろうな。
十代で撃墜王だったのか
本当に凄い
昔、お祖父ちゃんが紫電改使ってたな
>>53
今ではあなたがおじいさん
頭にあげるのはもちろん紫電改
紫電改てそんなに持て囃されるほどかと思う
四式戦のほうがいいだろ
>>58
稼働率がね...
現人軍神やん
もし会ったら拝み倒すわ
日本ーマリアナ間は5000キロあるから巡航速度の速いB-29でも往復15時間掛かるんだぜ
一応、海軍に公式のエースパイロットはいないって事になってて、笹井さんはこういう書かれ方はどう思うのか
ラバウル攻防あたりで部隊としての撃墜記録だけで個人の撃墜記録はカウントしなくなった
紫電改はあの葉巻みたいな図太さがちょっとな…
出力はまあ良かったんだろうが
>グアム、南方諸島、フィリピン、沖縄、本土防空と最も過酷な負け戦の時期を戦ったため、
勝ち戦を経験してみたかったと話している
よく生き残れた
それだけで凄い
知ってるか?
エースは3つに分けられる
単純に当時の戦闘機で長時間飛行の上戦闘までやれるって精神力が凄い
烈風量産の暁には合衆国など
しこるーすき しこるすきー
>部隊発足時の飛行隊長3人が全員戦死するなど
これが
戦闘301の菅野直、戦闘701の鴛淵孝、戦闘407の林喜重の3人やね
軍事関係の漢字ネームってグッとくる
どの機体選べても戦死確定ってとこが日本軍はきっついよねw一番マシなのは多分百式司偵で敵の侵攻方向の逆に緩降下しながらひたすら逃げること二式戦でもいいけどあまり飛べないからね
>>94
月光があるじゃないか
第二次世界対戦の各国戦闘機にはどうもロマンを感じる
最新の戦闘機にはない何か
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